お口アーン、あのラーメン屋、飴の味わい、そのひと噛み、おっと嘆く、投げる行為

2019年9月6日

2017/10/09(月)
父親(自分):35歳5ヶ月
母親(嫁):34歳
はるちゃん(長女):3歳6ヶ月
あーちゃん(次女):8ヶ月

お口アーン

食べないよりいいか論により
iPadを観せながら夜ご飯する親
それが私

YouTube観てないと駄々こねるので
しぶしぶ承知してるわけだが
会話がある食卓が望ましい
ホントはね

でも
YouTube観ながら食べるのは何が悪い?
テレビ観ながらと変わらないじゃん

いやいや
テレビ観ながら食事も本当は禁止したい
今日の出来事とか話しながら
食事を楽しむことを望んでる

習慣が大事なんだ

もう一つ問題は
自分で食べれるのに未だに
お口アーンしないと箸が進まないはるちゃん

ご飯は生き物で時間が経つと不味くなる
温かいうち、鮮度が良いうちに食べて欲しい

お口アーンは甘やかしではあるが
ご飯を無駄にしたくない勿体無い精神から
どうしてもやってしまう

それと
子どもの余り物を食べる役目は自分だし
夜飯を冷や飯でフィニッシュなんて嫌だし
食事がストレスになるって思いたくないし

悶々する

 

あのラーメン屋

行きたかった踏切のラーメン屋つぶれてる

潰れるってことは
大した味じゃない
or
接客がなってない

もしくは両方が有りえるけど
その良しあしは自分が決めることなので
とにかく食えなかったショックがある

体験は心の潤いを呼ぶ
心が行きたいと言えば素直に従おう

 

飴の味わい

飴の舐め方はそれぞれで
はるちゃんは連続して舐めないことで
おいしさを持続しているようだ

舐めては皿に出し、また舐めて出し
その繰り返しだ

元々飴がそんなに好きじゃないはるちゃん
継続して味わう技術、コツを覚えたようだ

自分は頬に飴玉を入れて
ゆっくり溶かしながら味わうのが好きだ

特にカンロ飴
頬に付着した甘みがまたいいんだ

嫁は飴クラッシュ食いだ
バリボリ噛んで凄い勢いで飴を消費する

味わい方は人それぞれだ

 

そのひと噛み

噛む喜び
噛んだ時の味わい
ごはんというものは
ひと噛みひと噛みに喜び溢れる

あーちゃんはついに中華丼を食べる
あんかけ部分のごはんを食べる

中華丼程度の硬さなら食べれるようになった
大人と同じ触感を体感できるようになった

どうだい?大人の味は

中華は少し濃いめ
しょっぱさを感じるかもしれないが
口の中が幸せになっていることを願うばかり

 

おっと嘆く

何をそんなに心配してるのか分からんが
子どもをかまう時、嫁に何かしら言われる

「ちゃんと見て!」
とかちょっとした注意だが
なんだか反射的に言ってるような気がして
少し疲れる

そんなに扱いがに見えるか?

公園に行くと子連れ家族であふれているが
他の家族の夫婦のやりとりとか気にしている

隣の芝生は青く見えるものだが
微笑ましいやりとりをしている気がして
ウチはやりずらいなぁとげんなり

そんなため息交じりの嘆きを
嫁の前でボソッと口にしてしまい
一触即発状態

「気づいたら注意してくれてありがたいよ」
となんとか言葉を付け足して
面倒な事態を回避した

これを顔色伺いながらの生活というのか
しんどいなぁ

 

投げる行為

子どもにダメって常々言ってることを
意外と無意識に自分もやってることがあり
反省したいと思う

物を投げる
を注意するときは
硬いおもちゃだったり、割れ物だったり
ぶつかったら危険な物に関して注意してる

だが
「その物がどういう素材か?」
などを判別せずに子どもは投げるので
一律に「投げちゃダメ」と注意

すると、すべてのものに関して
投げるのはいけないことだ
と刷り込まれる

結果
父親がTシャツを洗濯カゴに投げる姿をみて
はるちゃんは言う
もの投げたらダメだよ!

 

2017年10月9日(月)体育の日

天候
埼玉南部:晴れ
最高気温:26度
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