まとめ記事が大変、評価記事を書くこと、店内の装飾、苦しみの評価基準
2017/10/10(火)
父親(自分):35歳5ヶ月
母親(嫁):34歳
はるちゃん(長女):3歳6ヶ月
あーちゃん(次女):8ヶ月
まとめ記事が大変
記事を書くにあたり
一番気軽にできて量産できるのは
見出しごとに内容が異なる記事だ
日記を毎日つけているので
日記につけた端的な文章を
少し長ったらしく書いてしまえば
日記を記事化できる
これはかなり楽なのだが
あまり人の役には立たない文章だ
自分のブログの場合
抑うつの記事がよく見られてるので
そのへんをまとめると
うつに悩んでる人の助けになり
役に立つ文章が出来上がる
だが
まとめ記事を書くのは気軽ではない
何を言わんとしてるかの統一感があって
言いたいことが明確で
話の展開に起承転結があって
見出しと中身もマッチングしてる
そんなことが求められる
凝った記事にするなら
時間をかければそりゃできるが
1記事に1日以上はかけたくない
期日、納期を守りながら
コンスタントにまとめ記事作りたい
なかなかうまくいかないよね
評価記事を書くこと
丁寧な評価記事を作りたい
個人的な感想をふんだんに盛り込んだ
血が通った評価記事を作りたい
音楽や漫画や映画なんかの評価記事で
あらすじを淡々と書き連ねてるものがあるが
そんなwikipediaなものは書かない
でも一般的な人が求めてる情報は
wikipediaみたいな事実ベースでツラツラと書かれた
個人の思想が入ってない文章なんだろうな
検索上位をみてそう思う
なんで自分は感想記事を書きたいのか?
それは単にそういう記事が少ないから
記事が少ない = 需要がない
とも言えるが自分の評価記事に関しては
需要とか度外視
己の満足のために書く
記事が溜まっていけば
アルバムを聴いたことがある人が必ずでてくる
その時に話のタネになってくれると
評価感想を書いた意味も出てくる
店内の装飾
虫がまとわりつく感じの
ざわざわが何より嫌いで
背後から虫が寄ってきたとき
かなり大きめの声で
「うおっ!」
って言っちゃう自分
小心者っぽい反応なので
客観的に見てダサいな
と思うのだが避けられない悲しさ
ただ、状況によっては
理性が働くという事実を知る
今日は飲食店内で
虫接近のざわざわ感に見舞われたが
トレーを持っていたので
「こぼしてぶちまけるのはマズイ!」
という理性が強く働いて
「ぬぅっ!」
と発言して身を少しかがめる程度で
食べ物を粗末にすることなく
難を逃れた
背中に虫が入ってしまったかも!
虫刺されでかぶれるかも!
など妄想と緊張感が漂ったが
何の事は無い
虫だと思って反応した物は
店内の装飾だった
ハロウィンの季節だからね
苦しみの評価基準
音楽評価の基準ってなんだろ
好き嫌いを分けるだけなら
感情に逆らわず自然な気持ちで
ジャッジすればよいが
点数をつけるとなると困る
例えば
80点と75点の曲の差はどこにある?
と疑問を投げられたとき
評価を得た項目の多さが差である
と言えれば明確に説明できる
自分の性格がモロに出てる部分だが
評価するとなると
感情に左右されない
絶対的な指標が欲しくなる
そうしないと説明がぶれるから
感情に左右されると
好きな曲を聴きすぎて嫌いになったとか
その時々で評価が変わってしまう
なんかそれが嫌
嫌なんだが基準を作るのが難しい
なぜかというと感情が入るから
例えば自分は
疾走感と悲しみがある曲が好きだが
疾走感と悲しみがあれば必ず好きか
と言われればそうではない
感情が邪魔しない絶対評価基準が欲しいが
基準を設けると
90点なのに嫌いな曲とかでてきそうで
それを回避した基準に直すとか考えると
思考回路がショートする
自分の性格に疲れてくる
やっぱ基準考えるのやめた
2017年10月10日(火)
- 天候
- 埼玉南部:晴れ
最高気温:27度 - 本日の一枚
- 精査中
- 同じ日の日記
- 次の日
- 前の日
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません