抑うつ病なのになぜか活発に行動?謎の活発さの裏に隠され近づいてくる「死」の文字から脱却できるか!?

抑うつ初期のことを書くと
どうしても暗くなっちゃうなぁ

この最も気持ちが重い時期の記事を
なんとか早く終わらせて

「俺は回復したぜ!」
ってのを書きたいもんだ

 

活発だった最初の1ヶ月

自分の日記をよくよく読み返してみると
抑うつ病と診断されて、仕事を長期休むことを決めてからの1ヶ月は
行動範囲が広く活発だった

前に書いたが
頭痛に悩まされたり、一日中寝てたりなど
気が重い状態ではあったものの
土日は行動していた

どちらかというと
娘と家族に喜んでもらいたいための行動だが
気が重い状態にしては謎の活発さだ

井の頭動物園に行ったり

デパートの屋上遊園地に出かけたり

電車のイベントに出かけたり

心が重いというのとは裏腹に
足はなぜか動き出していた

「いつも通りに振る舞いたかった」
特に子どもの前ではそう思ってた

せめて土日だけでも
家族で遊ぶときだけでも

笑顔の絶えない父でいたかった

それが最初の1ヶ月の活発さだったんだと思う

だからこそ、3ヶ月経った今より
症状は何倍もきついし重かった1ヶ月でもあった

 

活発さと症状の重さの矛盾

まず、
「自分はうつになるような人間ではない」
というのが根底にあって

抑うつと診断された後も
「大したことない、すぐ治る」
と思っていた

「自分は抑うつなんかじゃない、
その証拠にこんなに活発で元気じゃないか」
と自分に言い聞かせていたのがこの矛盾の原因だろう

だから、薬だって
「こんなの気休めだ、飲まなくたっていい」
何て言って飲まない日もあった

この全てが逆効果だったとはね
自覚がないってのは恐ろしい

 

いきなり病人にはなれない

確かに会社にはいけなくなったし
一日中ゴロゴロと寝て過ごすことも多かった初期段階

でも目に見えて外傷があるわけじゃなく
元気に振る舞おうと思えばできた
(目は死んでるって言われたけどね)

医者「あなたうつ病です」
自分「はいそうですか」
なんて素直に受け取れない

この
「本当に俺は病気なのか?」
を受け入れるまで結構かかった

診断から2ヶ月ちょいかな
やっとの思いで病気かもしれないって受け止めて
そんで自分一人の時間もらって
ブログ書いて落ち着いてきた

落ち着いてきて、かつ、
まだ社会復帰が難しいと感じている自分を見て
「俺は病気だな」
と認識した

 

活発さと死が隣り合わせ注意報

自分は社交的ではないが
目標や理想、やりたいことがたくさんあった

今でも一生の時間使っても
やりきれないくらいやりたいことがある

そういう人が抑うつで行動できなくなった時
注意を促しておきたい

目標が目の前にあるのにやらない自分に
「自分はなんてクズなんだ」
って嘆く

やりたいことができなくて
理想としてたことが叶わないと知った自分に
「生きててもいみねーな」
ってつぶやく

どうか死なないで欲しい

自分はやりたいことを削った
自分はそんなにたくさんできない人間と認めた

解決には妥協が必要で苦しいかもしれないが
心に限界がきたことを認めるしかない

なんにもしないことが辛い人っているので
そんな人には伝えておきたい

ちなみに自分は
丸々1日なーーんもしないで

さらに
夜早く寝て昼寝もしてって日が3日続いた

そういうのがあって
「やりたいこと削っていいや」
って思えたのかもね