還暦八丈島旅行もついに本州へ帰還する話!旅行の話はこれが最後だ!汗だくの内容を公開しよう

2017年10月25日

これが還暦八丈島旅行のラスト記事
(ちなみに上記写真は、帰りの船からみた八丈島です)

この記事も相当長くなってしまった

もはや家族や親族しか楽しめない
コアな内容になってしまった

でもそれでいい
日記形式のブログだし

一応旅行記事の全てを見たい方は
下記リンクを参照いただきたい

 

いつ頃の話か

2017(平成29年)8月7日(月)

じぃじ(自分):35歳3ヶ月
母親(嫁):34歳9ヶ月

はるちゃん(長女):3歳4ヶ月
あーちゃん(次女):6ヶ月

他の登場人物

自分のじぃじ(じぃじ):還暦
自分の母親(ばぁば):還暦

自分の妹:30代
妹の長男:小学1年生
妹の長女:4歳

合計9人で行動

 

急遽、帰りの船のチケット購入

ゆったりとした時を過ごせないのかこの旅は…
と嘆きたくなる朝の忙しさ

それは、
帰りの飛行機が飛ばないことから始まった

帰る準備と朝食を速攻で済ませる
ってところまではこちらの記事に書いた

大急ぎで東海汽船のチケットを買いにいく

そこには長蛇の列が…

 

チケットは買えるのか?

まずそれが不安要素第一

この船で帰れないとなると
泊まる宿がない

昨日宿泊したシーピロスさんは
もう空きがないって言われた

さらにだ
9時出航って言ってるにも関わらず
行列の中心に並んでて
明らかに9時は過ぎてしまうだろう

しかも行列の進みが遅い

真後ろの子どもを抱えた別家族のお母さんも
チケットが買えるか心配してた

と、ここでじぃじが
「今並んでる人は全員乗れる」
という情報をどこからか掴んできた
これにはかなり安堵した

後ろにいたお母さんも
心配ごとが一つ減ったようだ

 

客室はバラバラになるのか?

これが不安要素第二

9人バラバラの部屋っていうのもあり得た

一番ベストなのは
「全員集まれる部屋を一つ確保すること」

この条件を満たすのは
特1頭和室という雑魚寝の
個室部屋をゲットすることだ

船に拘束されて
子どもたちも日中だから騒ぐのに
相部屋ってのだけは勘弁して欲しかった

帰りの船が心休まらない
地獄船となってしまう恐れがあった

だが特等室という個室を
確保することができた

 

特等室は行き来できない?

これが不安要素第三

特等室という橘丸で最上級の客室
ここを取れたのだが
チケットカウンターの人に釘を刺された

「特等室は他の部屋と行き来できませんよ」

そいつは寝耳に水である
行き来できないということは
出航だよ全員集合!ができないってこと

でもチケットは買ってるし
これはもう乗船して一か八か賭けた

でも
行き来できないというのはおかしい

船内の食堂に行ったりして
出入りするのは可能なはずだからさ

実際乗ってみたら
この特等室に全員集まることができた

これは不幸中の幸い
個室なので子ども騒いでいいし
大人もベッドでゆっくりできた

ちなみに橘丸の客室情報は
こちらの記事に詳しく書いた

 

船は引き返す?

これは不安要素というか
嫁が船に乗る前に
チケットもぎりの人に聞いてたのだが

「船は一度進んだら戻ることはない」
だそうだ
戻る方が危ないとか

とにかく、幾多の困難を経て
本州東京の港へは戻れそうだ

 

スケジュール組み直し

帰りの計画は全ておじゃんなので
特等室で落ち着きながらも
本州に着いてからの予定も組み直す必要があった

 

飛行機のキャンセル

乗る予定だった飛行機のキャンセル
こちらの二区間キャンセルだ

・八丈島〜羽田
・羽田〜秋田

幸いなことに飛行機の料金は全額返ってきた

「八丈島〜羽田」間は
天候の影響ってのが明らかなので分かるが
「羽田〜秋田」間は
こちらは間接的な影響だ

嫁も驚いてたが、キャンセル電話の時
「羽田〜秋田」間は八丈島の台風が影響とは
一言も言わなかったんだ

なのに気を効かせてというか
影響を察して
「全額返金します」
と言ってきた

不利益になることを
さも当然という形で応対してくれる

ANAの神対応に拍手喝采である

 

到着時刻が不明

ここが頭を悩ます問題だった

この台風の影響は
船側もイレギュラーな対応なんだ

しかも出航時間は1時間遅れだったし
本来は寄らない大島に寄るという状態

到着時刻がわからないと
秋田に帰るための新幹線を決められない

ただ調べていくと、時間的に
東京〜秋田までの直通チケットは取れなそう
(空も陸も全てね)

こういう時に田舎だなって思うよね

それ以外でいくつか候補があった
1、東京で宿を探して一泊してから秋田に帰る

2、仙台行きの新幹線に乗って、仙台で一泊

3、仙台行きの新幹線に乗って、さらにレンタカーで秋田に帰る

3はかなり強行手段で
「一体何時に家につくんだろう」
という不安が渦を巻いていた

運転するのはじぃじだし。。。

還暦祝いの本人にも関わらず
この旅で一番疲れる選択を強いられる
このじぃじの身になると心が痛む

ただ幸いというか
じぃじは運転が好きで苦にならない
(と、おっしゃってました)

さらに言えば
仙台から秋田ってかなり近いイメージ
「仙台についたら秋田まであとちょっと!」
少し我慢しようって気持ちになる
(ですよね秋田市民のみなさん?)

それでも、仙台から秋田まで
高速使って3時間はかかるよね、普通なら

そして、悩んだ末、最終的に選択したのは
候補3の強行秋田帰りだ

正直、東京〜仙台までの
新幹線に間に合うのかも怪しい状況

不安しか頭にない

 

この二人がいて初めて成り立った

ここは感謝の意を述べたい

飛行機のキャンセルや
どう行動に移すべきかなど
電話対応してくれたのは全て嫁だ

嫁がいなかったら
正確な情報処理とテキパキした対応はなかった
感謝しております

 

もう一つは、じぃじに感謝だ

じぃじの人脈は広く
当日夜のレンタカー手配なのに
電話一本で借りることができた

地味にすごい

持つべきものは人脈か

自分には一生縁がなさそうだ

 

船到着前の一悶着(ひともんちゃく)

東京の竹芝港に着く30分以上前から
出入り口には人だかりができていた

うちらも1時間以上前
東京湾に入ったころから
荷物を置いてスタンバイしていた

じぃじと自分が交代交代で見張り番

でだ、
もうすぐ到着するよって時には
ものすごい人だかりで

早く着かないかと殺気立ってた

この状態で一悶着が起こる

自分たちが待機しているところから
2メートル後方にいる「家族のお父さんA」
さらに2メールくらい後方にいる「おじさんB」
喧嘩勃発

お父さんA家族が割り込みしたという話で
おじさんBは割り込みが許せなくて

「順番を守れ!日本人だろ!」
と騒いでいる

お父さんAがそれに応戦して
「割り込みなんかしてない」
「海に投げ込んでやろうか!」
と怒気を放ってる

お父さんA家族の子どもは泣いてるし
最悪の旅行だなと思いながら
自分はあまり聞かないようにしてた

どっちが事実なのかはわからんが
(どっちが事実でももう関係なく)
落ち着いて話合いはできないのか?

「譲ったら負け」
でヒートアップしちゃうのかね

船を降りて家族とおじさんが
どうなったかは知らず

うちらもそれどころじゃない

 

東京についてからも悶絶

1分でも早く東京駅に着きたい
港に到着するまで焦りがあった

電車遅延があったらアウト
子どもの足で歩いてたらアウト

キャリーバックと子どもを背負って
とにかくダッシュしなければ

と、
陸上選手がスタートするかのように
船の到着とゲートが開くのを待った

船おりた順番だと10位以内に入ってた

本当は
接岸するのと足場を装着するのを
間近でゆっくり眺めていたかったけど
そんな心に余裕がない

まず
竹芝駅がどこにあるか不明で
それらしき方向に向かって行くしかない

「駅を見つけた!階段だ…」
先頭は自分とじぃじ

そして階段ダッシュ!
竹芝駅の階段はかなり長い
みんな階段のぼってまさに苦行

じぃじは一番重い4歳の子どもと
一番重い白のキャリーバックを持っている

母さんは荷物背負ってヘロヘロ

少し心の余裕があれば
エレベーターに乗ってたかもしれん

後方の妹たちは気づいてたけど
エレベーターは使わなかった
(どこに繋がってるか不明確だった)

「ひーこらひーこら」
言って急いで切符買ってホームに行くが
一本ギリギリ間に合わず見送る

次の電車がくるまで5分休憩だ
幸い遅延はなさそうだ

 

ゆりかもめの竹芝駅から
JRの浜松町駅に向かい
東京駅が終着

東京駅までの道のりを知っていれば
あと少しって感覚になったかもしれない

だが、
東北の秋田からやってきた人たちは
駅の距離間を全く知らない

知らないでただ付いて行くってのは
想像以上に精神に負担がかかる
「何回乗り換えたらいいの。。」
と心の中で思ったに違いない

「浜松町駅についたらあと3駅で着く
6分くらいの辛抱だ」
と秋田の民に状況を伝える

そして
ばぁばの汗だくは凄かった
その噴き出る汗に家族に笑いがおきた

「あいーこえ、しんとこだ」
(※秋田弁で「あーつかれた、死にそうだ」)
と化粧を崩しながらぼやいてた

のちに2kg痩せたと言っていた

 

仙台行き最終新幹線発車時刻の
20分前に到着したのは
今までのダッシュによるご褒美だろう

妹の小学生になる子どもも
お土産を買う時間ができたし
切符を買う時間にも余裕があった

最後の仕上げ
改札の前で写真を撮った

ここで
埼玉県所沢市民組のうちら家族と
秋田帰り組が別れた

旅の終わりで地獄を味わうという
壮絶な30分だった

 

秋田組はさらに大変

所沢組は電車で1時間かけて
東京駅から家に戻るだけ

だが秋田組は
東京から仙台までの新幹線に乗り
さらに仙台から秋田まで高速使って行く

運転はじぃじ

疲労で事故にならないか心配したが
なんとか夜中の2時くらいに着いたらしい

所沢市民のうちら家族は
到着連絡を聞く前にバタンキューでした

災難の連続だったけど
最後まで記憶に残る還暦旅行であった

 

のちに語られる伝説

先に書いたが
竹芝駅の階段ダッシュの話だ

一番重いキャリーバックもって
子ども抱きかかえてダッシュした階段登りで
じぃじは一言も言わなかったのだが

実は
ひざに水溜まってる状態だった

秋田に帰って来てから医者に行き
医者に言われた
「よく歩いてこれたね」
って

相当痛かったんだろうに
弱音を吐かないのはじぃじの美学

やはりじぃじは只者ではない

 

旅行の締めくくり

すんごい長々と記事を書いたが
思い出が詰まった最高の旅行だった

じぃじもそう思ってたらうれしい

 

今回、自分は写真係だったが
300枚くらい写真を撮った

特に面白い光景としては
じぃじとはるちゃんの2ショットだ

この旅行ではるちゃんは
じぃじとかなり親密というか
ラブラブしていた

そこに写ってる心底嬉しそうな
還暦じぃじの笑顔が
「いい旅だった」
と思わせる記念になってる

みんな元気なうちに
また旅行に行きたいね!